Side Dish et cetera
This page contains images of people and things that have even the slightest connection to Koichi Okumura.
Sometimes there are things that are not related to him, but they are connected in some way and cannot be said to be completely unrelated.

数年前、突然庭に咲き始めた雪餅草(ユキモチソウ)。はじめて目にした特異な形状の植物に一瞬、
「一体これは!」と思ったが、今では愛しい。花言葉はなんと「苦難の中での力」だ。(5月初)。


故・生島遼一氏。五十代頃の京都大学教授時代。奥村の友人で生島家の養女となった次女香苗の義理の父親。


向かって右から桑原武夫、生島遼一、三好達治、大岡昇平。昭和29年(1954)志賀高原丸池付近にて。


1930年代、仏留学中の故・生島遼一(後に京大教授・右側)。友人とブルターニュにて。


おこまがしくも奥村作品を勝手に現代的解釈!?ホックニーに倣い今風にタブレット画(素人管理者)。額装


<拡大>今まさに沸きたたんとする春を、パステル画風にラフなタッチで表現。
   「春は巡る満咲くの木」A2(オンデマンド出力)


木曽路にて御嶽を望む 2024年1月


1962年(昭和37年)画友 山口華楊とヨーロッパ遊学へ。旅の出発当日のスナップ。花束までw


1951年(昭和26年)京都昭和会館の火災スケッチ。
  (※昭和会館=大正時代、三井財閥が後ろ盾となり設立された府立植物園内にあった天皇御大典記念の施設)


少し粗末な用紙に描かれた奥村の二人の娘の素描が残っていた。昭和20年〜(1945-1948) 頃


奥村の妻、雅世さんの「素描」と結婚式の写真、長女を抱っこした雅世さんの写真のコラージュ。


1924年(大正13年)頃、賀茂街道御薗橋交差点附近。夏休みの子どもたちが上賀茂神社方向に向かう様子を点描。


方角は少し異なるが下の絵が描かれた年から11年後の1934(昭和9年)、京都高野付近で描かれた比叡山のスケッチ。


1923(大正12年)大徳寺付近の自室からの比叡山。手前の低い山は五山送り火「妙法」が灯される山。